二十九、三十
クリープハイプの「二十九、三十」を初めて聴いた時、私は20歳になったばかりだった。
年齢の十の位が変わること。その重みは理解できるものの、10代から20代になった時は期待しかなかった。お酒も飲めるようになるし、“大人”になった感覚が強くて、なんだか嬉しかった。
だから、この歌の良さは、当時は正直よく分からなかった。
それから大学を卒業し、就職し、しばらくして会社を辞めた。
ちょうど結婚したタイミングというのもあったけれど、ずっと夢だった音楽に関わる仕事に挑戦してみたくなったからだ。もっと言うと、音楽ライターになりたかった。いつも自分がワクワクしながら読んでいるライブレポートや、レビューや、アーティストのインタビュー記事を作る側になりたかった。
しかし、現実はそんなに甘くない。
そもそも私が新卒で勤めていたのは出版社でもないし、ライティングや編集の仕事をしていたわけでもない。全くの未経験。そんな人を簡単に受け入れてくれるところなんてあるわけがなかった。
それでも諦めたくなくて、自分なりに必死に書いた文章を、気になった媒体にとにかく送っていた。返事は来ないだろうと思いつつも、毎回どこかで少し期待してしまう。2~3日経って、音沙汰が無くて落ち込む。その繰り返しだった。
〈いつかはきっと報われる〉
当時思っていたのは、まさにそんなことだ。
〈いつかはきっと報われる〉
でも、それっていつだろう。
〈誰かがきっと見てるから〉
誰かって誰だろう。何で今すぐに現れてくれないんだろう。
自分の状況は何も変わっていないのに、時間だけはどんどん過ぎていく焦りと不安。面と向かっては言われなかったけれど、家族が心配しているのも薄々感じていた。
諦めた方が楽だろうとも何度も思った。でも、一度やろうと自分で決めた道。諦める決心はつかなかった。勉強のために開く音楽雑誌や音楽メディアを眺めながら、すでに第一線で活躍している人たちを羨ましく思った。
ある音楽メディアから「書いてみませんか?」と連絡をもらったのは、そんな日々を1年ぐらい続けた頃だ。
最初にコラムの執筆依頼をいただき、その次はライブレポートを書かせてもらった。もともと私が1番書きたかったのがライブレポートだったから、無事にサイトに掲載された時は本当に嬉しかった。
はじめこそ月に1本あるかないかの依頼だったのが、時を重ねるごとに少しずつ増えていった。初めて記事を書かせていただいてから2年以上が経つが、そのメディアには2024年の今も大変お世話になっている。有難いことに、掲載された記事から別の仕事に繋がることもあった。
かと言って、もちろんすべての夢が叶ったわけではないし、フリーランスという立場上、いつ仕事が途切れるかもわからない。それでも、こうして過去を振り返りながら、たびたび思うことがある。
〈いつかはきっと報われる〉
気づいたら、あの時思い描いていた“いつか”は来ていたのだと。
クリープハイプが「二十九、三十」をリリースしたのは2014年。あれから、もう10年が経った。
今年、私は30歳になった。年齢の十の位が変わること。その重みも、自分の居場所を見つけられないまま時間が過ぎていく焦りも、20代を経た今はもう十分理解できる。
未来は見えないから、いつだって不安だ。でも、見えないからどんな未来にも期待できる。全くの未経験から音楽ライターになれたように、今ならどんな自分にもなれるような気がしている。
今思い描く“いつか”が来る日を楽しみにしながら、今日も私は自分に言い聞かせる。
諦めずに一歩ずつ、前に進め、と。